じゃがいもから見た3.11

SPONSORED LINK

震災から7年。なかなか振り返ることができなかったのですが、今ようやく当時の店内での様子やじゃがいもの母がやってきたことを短くではありますが振り返ってみます。

震災当日、じゃがいもの息子は確定申告を終えて税務署から帰ってきて14時過ぎからじゃがいもの母の作った昼食を食べていました。そして14:46になって突然大きな揺れが始まりました。じゃがいもの母は宮城沖地震がついに来た言っていましたが、何分たっても揺れが終わらずにだんだんと強くなっていくので、これは宮城沖地震よりも大きいかもしれないと言っていました。10分くらいずっと揺れていたような気もしましたが、後で分かったことは同時にいろんなところで地震が起きていたようです。じゃがいもの息子はじゃがいもの母を抱えながらいつでも外に逃げられるように入り口を確保しながら揺れが収まるのを待っていました。お店の中は一瞬でめちゃめちゃになりました。外は人がたくさん出てきていて、信号はすべて止まっていて停電し、お店の中も停電して薄暗くなりました。地震のあとには雪がたくさん降ってきて気温が下がってきて寒くなってきました。そうしたら上の階の会社の社長さんが車の中で暖をとるといいよと言ってくれたので少しだけ車の中にいましたが、その車内のテレビ映像を見たときに仙台平野に津波が来ている映像を偶然見ました。正直嘘だろ?と思いましたが、このすごい波の勢いを見て来るかもしれないと思い始めたのと同時に外で警察官たちが津波来るから逃げて!と叫ぶ声が聞こえてきました。その時にこれは本当に命の危険な状況だということに気づいて、いつでも高いところに避難できるように建物をピックアップしていつでも逃げられる準備をしていました。結果的にはお店から約3キロ先のところで津波は止まったので大丈夫でしたが、もしもっと大きな津波だったら店にも届いていた可能性があったのかもしれません。そう思うととても身震いがしました。後になってお客様たちの中にも津波にあって一晩中屋根の上で過ごした話や乗っていた車ごと流されて車が沈む直前に手を引っ張り上げてもらって助かった話など、そういった話はたくさん聞きました。一人一人の中にそれぞれの当時の話があると思います。

 

地震のすぐ後に撮ったお店の自分が座って食事していた机周辺の写真。私じゃがいもの息子は食事中でした。

 

じゃがいもの母は震災当日の夕方からずっと毎日近所のお客様たちのところまで行ってあたたかいおにぎりや食材を届けて励まして回っていました。そして家に来ることのできるお客様たちにはおにぎりや料理を振舞っていました。そして車で行ける範囲で近所のお客様たちの家や家を失って避難している体育館にもおにぎりや作った料理や衣服を届けたりしていました。

じゃがいもの母は調理師免許を持っていていろんなところで料理の仕事をしてきたこともあり、どんな状況でも最低限の食材や水とストーブなどの熱があればなんでも作れました。備蓄用の水は店や家にたくさん用意してあり、ストーブも電気のいらないマッチ棒でつけられる昔ながらのストーブを持っていました。すべて宮城沖地震を想定して準備していました。食料も店にも家にも非常食をたくさん用意していたので食べるのには困らなかったので、備蓄のなかった方々にも十分振る舞うことができました。

そして当時は電話やネットも通じなかったのでメールマガジンや携帯メールなどで連絡をしてお客様たちにお店に個別に来てもらうことにして、停電していてレジも動かなかったので、お店にある商品をお金は後日でいいので必要な分をすべて持っていくように言いました。皆様には持っていく分の商品の名前と個数を書いてもらってすべて持っていってもらいました。お店の商品は初めてすべての棚がカラになりました。そして後日にはすべてのお客様がお支払いをしてくださいました。お店とお客様との信頼関係が構築されているからこそできた事だと思いました。

本格的にお店を再開できたのは3月24日からでした。お店の棚がカラになったので再び食品が入荷するまでは物流が途絶えていたこともあってかなりの時間はかかりました。お店で取り扱う野菜の放射能への不安もあったので放射能測定器を即決で2種類購入し、お店の野菜などをすべて放射能測定をして、安全を確認してから店頭に置いていました。

震災の時のじゃがいもの母の背中をずっと見ていて、これはギブ&テイクではなく、まさしく「ギブ&ギブ」という言葉が思い浮かびました。備蓄された水や食料があるだけでもスーパーに並ぶ必要はなくなることも分かりました。困っている人に手助けをすること、最後まで人を信じて、誠実に生きてきたじゃがいもの母のことを今もこれからも本当に尊敬し、とても誇りに思っています。

 

最後に震災直後のお店の写真が何枚か残っていましたので掲載します。

 

棚はじゃがいもの母が宮城沖地震が来ることを想定してすべてワイヤーで固定していたのでひとつも倒れませんでした。

 

冷蔵庫などもすべて固定していたので大丈夫でしたが、停電により中のものがどんどん悪くなってくるので最初に冷蔵庫の中のものを非常食にしました。

 

 

お店の裏側も物は落ちましたが棚が倒れることはなかったです。

SPONSORED LINK

ABOUTこの記事をかいた人

1998年に仙台でじゃがいもの母と息子が開業した「自然食品の店じゃがいも」は、 18年間の営業ののちに店舗を譲渡し、その後じゃがいもの母は天国へ旅立ち、 譲渡した店舗もわずか数ヶ月で閉店になりましたが、 じゃがいもの母がこれまでに培ってきたism(精神)やレガシーを伝え続けるために じゃがいもの息子は「じゃがいもオンライン」を立ち上げました。